江戸の書簡を読んでみよう(泉川文書02-03)

泉川茂八郎のもとに届いた、九州遊学時代の「悪友」からの手紙を読んでみる第3回。
丸山君による下ネタ絡みの友人近況がもう少し続きます。

翻刻案(自信なし)

①猶又■■兄も昨年

②退塾仕候て帰居申候。

③是も又ご存しの通女已ニ

④執心、当節抔は少シは腎虚

⑤之気味ニ御座候て、病居申候。

⑥○○○○兄抔は未タ入塾

⑦仕居候也。是も野生抔と

⑧同様ニて学業相成も難

⑨計候とて、△△△申上度

⑩▲▲御座候不□□□

⑪四月四日

読み下し(自信なし)

①なおまた ■■けいも さくねん

②たいじゅく つかまつりそうろうて、ききょ もうしそうろう。

③これも また ごぞんじのとおり おんな のみに

④しゅうしん、とうせつなどは すこしは じんきょ

⑤のきみに ござそうろうて、びょうきょ もうしそうろう。

⑥○○○○けい などは いまだ にゅうじゅく

⑦つかまつりおり そうろうなり。これも やせいなどと

⑧どうようにて がくぎょう あいなりそうろうや 

⑨はかりがたくそうろう とて ??????もうしあげたく

⑩????ござそうろう??????

⑪しがつよっか

意味(自信なし)

①それから■■君も昨年

②退塾しまして帰郷しました。

③この人もまたご存知の通り、女にばかり

④ご執心でして、この頃ではいささか腎虚

⑤の気味にございまして養生しております。

⑥○○○○君などは今も在学

⑦しているんですよ。これもワタクシメなどと

⑧同様でして、学業で身を立てることが

⑨出来るかどうか見通せないと、(後段不詳)

⑩(一行不詳)

⑪四月四日

悩みどころやアレコレ

①泉川茂八郎と丸山君の共通の友人の話が続きます。
■■兄、これはなんと読むのでしょう。
最初の文字は「至」のような。
「兄」は親しい先輩や友人に使う敬称で、仮に「くん」で訳しましたが、軽すぎるかな?
「兄」には「兄」でしか表せない、その語ならではの意味世界をもっている訳ですね。

②丸山君が一昨年に退学し、至兄が去年退学。
それを書き送る先の泉川茂八郎は、さらにその前に退学済ということになります。
「すねふり」仲間の巣立ちの時期です。
退学というとちょっと重いですが、この頃は卒業式があるわけでも、修業年限があるわけでもなし。そもそも入学だって時期が決まっているわけではありません。一人一人の進捗状況に応じて判定されるわけで、考えてみればひどく合理的であります。
彼らの退学は、今の社会でいえば「在学中に司法試験や外交官試験に合格したから退学した」といったところでしょうか。いや、アイドルの「卒業します!」に近いかもしれません。
学成って、故郷で塾開業というケースもあったでしょうが、丸山君も至兄もそういう感じではありません。
燃え尽きた、というか、やっぱり「普通の女の子になります」っぽい雰囲気があります。(ありません?)

③その至兄の今を丸山君が語る。しかし至兄こそ良い面の皮で、「これ『も』好色だから」と丸山君は自分を棚に上げて至兄をやり玉に挙げています。「ご存知の通り」の間投句がよく効いて、諧謔的雰囲気が盛り上がります。

④「女のみに執心」とはなかなか強烈な表現。
明らかに冗談の言葉遣いですが、至兄の実態はどうだったのでしょう。
「とんだヤリチン野郎」?「無類の風俗マニア」?それとも「仲間からやっかみ半分貶されるイケメン」?
この時代、一般女性を相手にした「とんだヤリチン野郎」がどの程度成立したのか気になります。
ほんの一二世紀前のニッポンですから、メンタリティがそこまで変わっていたとも考えにくいですが、激しい時代の変化が在ったのも確か。即断はしかねますし、知識が決定的に不足しています。
さしあたっては、至兄が「酔ったわー。どうする?すねふっとく?」の口火を切りがちだったのだとしておきましょう。

ところでここでくずし字の形態的な話になりますが、「節」も頻出ながら読みづらい文字の一つですよね。
例えば「脇」と「脅」は、要素の配列方法が違うだけで、元は同じ字なのだそう。
「節」のくずし字も、竹かんむりの下に並ぶ2要素を、縦に並べるケースが多いように見受けられます。
そのせいで現在の「節」とはぱっと見た姿が違い、2文字分くらいの長さに感じられ、そして要素が悪目立ちしてゴツゴツした印象を与えます。手書きの迷路みたい。

⑤その至兄は退塾後腎虚気味。腎虚は泌尿器系の症状のことのようで、つまりはすねふった結果のお土産に悩んでいたことになりましょうか。泌尿器、というか、「シモ系の症状に参っている」のが「腎虚之気味」の表す大雑把な意味でしょう。
「病居」を「病みついている」、「伏せっている」とまで受け取るべきかどうかは悩ましいところ。
「弱っている」「調子が悪い」程度であったことを、至兄のためにも祈りたいですね。

⑥○○○○さん、あなたのお名前なんていうの?
隼人正人兄、に読めなくもない。
しかし人名には正解がないので(いや、あるけど)、初心者にはハードルが高い。
これは人名なんでしょう?じゃあ、Aさんでいいや。といったん棚上げ。
とはいえ、人名が出てくると手紙が急に生き生きとします。
ああそうか、名前は読めないけれど、百五十年前にこういう人が生きていて、そしてもう、居ないんだ。
そんな感慨に打たれてちょっと体がフルルッと震えます。

その「隼人」さんは未だ「入塾」。この言い方、面白いですね。
入塾、というと入学する時のことをいい、入ってしまえば在学、在塾とするのが現代の日本語でしょう。
しかしこの手紙の日本語では「入る」と「入っている」が同じに捉えられている。
これは中国語(漢文)の語感なのでしょうかね。
明治以降の西洋語の影響の中で、中国語的なアスペクト観が、西洋的なものに変化していったのかなあ?なんて浅いことを少し思いました。

⑦「仕候也。」と読んでみたけれど、果たして。
訳すにあたっても「なんだぜ」と少し念押しの感じを付加してみました。

⑧「相成」の後がちょっと読みに悩んでいるところです。
・相成候も難計
・相成も難計
・相成候哉難計
とりあえず3候補。
「学が成るかどうかわからない」の意味ではありましょうけれど。

それにしても「相」の合いの手上手たるや。
近世人はいつでもどこでもついつい「相」の字を付け加えてしまうように見受けられます。
実質的な意味はそんなに無いのでは?
「ちょっと」「少し」のように、意味なく多用してしまう社会揃っての口癖、書き癖のようなものに思われます。

⑨⑩ここから先が判読が出来ていません。
友人の近況から、急転直下、⑪の日付に至るわけで、⑨⑩には「草々」とか「恐惶謹言」も含まれていると思うのですが、いかにも文字が少なく、そそくさとした幕引きに感じられて戸惑います。
今のメールのような「そのうち会いしましょう」「今度呑もうよ!」が、実現困難であるが故に気軽には書かれないのが、この時代の手紙に感じる「時代」です。

⑪よんでそのまま「四月四日」。多少「月」の後ろが伸びているようで、そこに「十」の気配をうっすら感じなくもないですが、素直に「四月四日」でよいんじゃないでしょうか。
では、いつの「四月四日」?
これが難しい。

今後別記の通り、泉川茂八郎は広瀬淡窓の下で勉学を続けた人物らしい。
淡窓の下を頼山陽が訪れた時、居合わせたというから、そこから遊学時代がいつまで続いたかを判定することは出来そうです。
しかしいつ高松に戻り、いつ丸山君からの手紙が舞い込んだのかは、にわかには判定が出来かねる。
そもそも、広瀬淡窓といえば大分県日田の人であって、国名としては豊後にあたることでしょう。
「すねふり」は福岡、長崎の方言というから、すねふったのは日田より前の福岡時代とも考えられる。
そうなるとこの手紙は、福岡時代の友人が日田の泉川茂八郎に送ったものであるかもしれず、するとさらに年代の確定が難しくなります。
淡窓の咸宜園ならば、塾生名簿がある程度残っているとも思われるので、その中に「泉川茂八郎」と並んで至兄や隼人兄の名前が並んでいやしないか、いずれ調べてみたいと思っています。

雑感

というわけで泉川文書02の第3回はこれでおしまい。
丸山君のお手紙もこれで終わり…かと思いきや、もう数行だけ追伸があるので、次回それを以てこの手紙とお別れすることにいたしましょう。

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Posted by 斑鳩大納言